高校を辞めたかった話

(つづき ─ 高校二年生末)

   二年生に進級した私はもぬけの殻でしかなかった。母親のあの言葉がなぜか片時も頭から離れないまま。初めはなかなか学校に馴染めなくて友達ができない、とか、進学校の勉強が難しすぎて既についていけそうもない、だとか、そんなありきたりな不安が高校を辞めたいだなんて浅はかな解決策を思いついたくらいのことだったはずなのに、日に日にすべてがいやになっていった。あの高校も、あの高校にいる自分も、突き詰めて考えた先、自分の存在そのものすらいやでいやで仕方がなくて、気がおかしくなってしまいそうだった。朝起きて支度をして家のドアを開けても、一歩目が踏み出せない。わけもなく涙が溢れてきて電車にも乗れない。自分が内側から死んでいくのがわかって怖くなったとき、初めて私は母親に「高校を辞めたい」と告げた。確か、ゴールデンウィークが始まる少し前のことだ。

   これを乗り越えたら強くなれるだとか、将来のための学歴だとか、両親は口を揃えて何度も私を説得しようとした。言いたいことは痛いほどよくわかっていたけれど、今の私がいないのならこの先の私もいないということをどうしてわかってもらえないのか、どうもその時点の私のことが無視されているように感じた私は自分の存在を否定されたようで、それが高校の云々以上に辛く悲しかった。過呼吸になりながら両親の前で大泣きした。年の離れた妹がいるせいか、物分りのいい長女の像を守りつづけてきた自分にとっては、積み上げてきたものも同時に崩れ落ちていったような気がした。あんなにもわがままを言って両親に食い下がったことは後にも先にもない。しかしながら、私が泣いてどうにかなるような簡単な問題でもなく、両親はひとまずの保留を言い渡した。保留って何だろう?学校という現実は待ってくれやしないのに。涙が枯れ果てたあと笑いがこみ上げてきた。父親は最後に「妹だって気丈に振る舞ってるけど凄く心配してるんだよ」と言い残して立ち去った。あの一言が本当に要らなかった。

    どこか狂いはじめた私だが、流石にあてもなく逃げ出すつもりはなく、もし高校を辞めたとしてそれからどうしようか、紙に書き出して一つずつ考えていた。現実的な選択肢としては退学してしまうこと、休学すること、通信制等への転校、高校の再受験、現状を維持すること、そのくらい。私の住んでいる場所はどう足掻いても田舎だから、都会にはもっと素敵な選択肢があるかもしれないし、私の調べ不足もあっただろうから、絶対に参考にはしないでいただきたい。退学して社会から完全に切り離されてしまったらどうすればいいのか。仮に高卒認定試験を受けてそれに合格したとしてその先は?休学しても問題を先延ばしにするだけ、高校の再受験なんて考えられない。そんなこんなで私は、通信制高校への転校に考え至った。あれは、弱りきった自分にも希望と未来が見えた唯一の場所だった。

悪びれもせずに学校をサボり、大学のオープンキャンパスにでも行くような足取りの軽さで目星をつけていた二つの学校へ見学に行った。通信制の生活と単位の引き継ぎについて一通りの説明を受けたあと、授業をしている教室を先生と一緒に見て回った。どちらもスクーリングの多い学校だったせいか、建物は専門学校に近かった。教室の中はまるで全日制のように人が多かったのがどうも意外だった覚えがある。どの教室も、通り過ぎる度に頭のイカれた笑みを向けてくる人が一人以上いたのがかなり不気味で怖いと感じはしたものの、転校生になった気分を体験できて少しだけ面白かった。最後に紹介されたある広い教室に、先生が一人と生徒が二人いた。授業の時間なのに二人とも勉強するわけでもなくただ本を読んでいて、その目がまるで死体のように虚ろで光のないものだったことが忘れられない。実を言うと、その頃には学校に漂う空気に虚無を感じてすっかり尻込みしていた。失礼ながらにここまで堕ちたいわけではないと思ってしまうほど見てはならないものを見てしまったような気がして、来る場所はここではなさそうだと思ったとき、いよいよ八方塞がりになった。高校ニ年生の夏だった。

   寝ても覚めても意思とは関係なく勝手に涙が溢れて止まらなかった。家にも学校にも居場所がないから、いっそ窓から飛び降りてしまえばもう明日を迎えずにすむかもしれないと無意識の内に考えて何度も下をのぞき込んでしまったり、道を歩いているときに運良く車が突っ込んできて不慮の事故で死んだりできないかな、なんて想像をしては馬鹿らしくなってやめて、またすぐに想像することを繰り返した。人間壊れるときというのは意外と穏やかに、それでいて激情を伴ってやってくるらしい。例えば、家電のように。ある朝目が覚めたとき、急に物事が何も考えられなくなっていて、それからの私は辛いも悲しいも面白いも一切の感情を失い、部屋にいる時間の殆どすべてを集めてきたコナンの漫画の自炊に費やすという異常な行動に出た。色んなものがショートして無になってしまい、学校を辞めようとすら思うことがなくなった。結局私も、あの日通信制高校の教室で見た光景の一部にいたのだ。コナンに関しては結果的に五十冊ほど完成したものが手元にあったのだけど、今日まで一冊どころか一ページすら読んでいない。負の遺産すぎてこの間一括削除した。私の時間って何だかとても呆気ない。

   今の私が思うに、何か自分の心の支えとなってくれる柱のようなものを見つけ、寝ても覚めても追いかけたくなるような、好きになったばかりの勢いだけでその地獄を生き抜いていくことが最低限の生活を過ごすための最善手なのかもしれない。無責任でしかないが、やりたいときにやりたいことをやりたいようにやってみればいいと思う。授業も真面目に聞いている顔をしながら妄想でも何でもしておけばすぐに終わってしまうし、周囲を諦めたなら空気に徹して我関せずに生きていけばいい。いかに楽しい地獄に変えられるか。決して逃げの一手ではない。これが二年生後半の私の行き着いた先だが、楽しくても所詮は地獄は地獄だ。これまでの私はそれでもどうにか死んだように生きてきたけれど、ここからの私は、生きているようでとうに死んでいる。

   その夏のことだが、私は初めて一人で東京に行き、とある舞台を観てきた。春時点で既に行くことが決まっていたからそれだけを生きがいに、心の拠り所にしていたのだけど、父親から「高校を辞めるなら東京に行くのは許さない」と言われ、声にならない苛立ちと絶望を覚えた。この人は、私がすがりついているものを踏みにじって、私の心を壊してでも自分の規定した普通の道を歩ませたいんだな、と理解した。行かせないと言ったって私の稼いだお金だけで行くと明言していたというのに、当然の顔で意味のわからない不当な取引を持ち掛けてくる父親に何の権限があるのか、それ以前に人間性を疑ってしまい、あやうく危うく刺し違えるところだった。両親もそれだけ必死だったのだろう。ただ、冗談であろうと本気であろうとやり方が許せず、不信感が拭えなかった。それでも結果的に東京へ行ったことが色んな意味での息抜きになったことに違いない。その舞台中に続編が決まったこともあって、行くためには生きなくてはと体に少しだけ力も入った。

   注意すべきは、いくら成績が良くても出席日数が足りなければ進級できなくなることだろうか。数教科であと一度でも休めば留年すると電話が掛かってきたこともあったが、そうは言いつつも、私以上に欠席遅刻の多かった同級生はなぜか普通に進級して  卒業している。彼の存在のおかげで私の欠席は目立つこともなく、見咎められはしなかった。ただし、私とはサボりの理由もまるで違って、彼は興味のあるもの以外への努力をする気がないらしく、自分の夢のために全力投球しているから学校の勉強なんて必要ない、だから行かない。という、とても前向きなものだ。口の軽い担任が詳らかに事情を説明してくれた。担任は私と彼とを同じ括り方にしてきたけれど、あまりに表面すぎてこの人には何も見えていないんだな、と目の前で吹き出しそうになった。

   私は結局、高校を辞めずに卒業した。それは、立ちはだかる壁を乗り越える気力すら失ってしまい、辞めることよりも続けることの方が楽になっていたからなのかもしれないし、私とは別の高校でよく似た状況にいた中学校から付き合いのある友人に対して、自分だけが楽になってしまうことへの後ろめたさを少なからず感じたからなのかもしれない。もちろん金銭的な負担だって両親に強いることになるわけで、細かな理由なんて挙げれば尽きないが、自ら選んで辞めることを止めたのではなく、逃げて流れ着いた先が現状維持だっただけだ。それから何かが変わるわけでもなく、周りが受験ゼロ学期に勤しむ中、私は一人、八方塞がりの状態で死にたいだけの毎日を送るだけ。進路なんて言葉はどこにも存在しないし、私の人生も、私自身が空っぽだった。